M さん(46)がサラリーマンを辞めて、有機野菜生産による農業を始めるため家族で長野県南部に移り住んだのは6年前の1999年3月だった。 それまで、関西の電気機器メーカーに勤め通信機器の製品開発に携わっていたが、農業とも長野県とも無縁の生活をしていた。
彼が野菜作りと出会ったのは16年前、結婚後初めて生まれた長女が幼児期からアトピー性皮膚炎に苦しんでいたため、人から農薬を使わない有機野菜の食事が効果的と聞いて、家庭菜園で野菜を作り始めたのがきっかけだった。
それからは、仕事でのイライラも菜園で土と向かい合うと不思議と安心感に包まれることを実感して、休日になると土いじりの日が長いこと続いていた。
最初は、長女に農薬を使わない野菜を食べさせたいと云う軽い気持ちだったが、次第に土の魅力に取り付かれ、「老後は農業」で、「元気なうちに農業で」と思いは前のめりに展開してゆき、土いじりと同時に、地元野菜生産者の勉強会や就農のための準備学校、ついには農業大学の通信講座で勉強をするまでに熱を帯びていった。
その間、家族旅行というと各地の畑巡りをして、農業の現状をつぶさに見て周り、家族の気持ちも次第に就農に傾いていた。 39歳で、サラリーマンを辞めて農業での起業を決意。翌年、幾つかの候補
地の中から長野県を選んで移住した。
就農にあたって、Mさんが心がけたのは借金をしない起業。他の業種と違って農業では少ない初期投資での起業が可能で、Mさん場合は中古の軽トラックや耕運機、農具など、約50万円程度に抑えている。
それには、10年以上に亘った農業についての学習効果もあらわれている。 彼は、失敗しないために農業経営を頭に叩き込んでいた。
比較的スムーズに進んだ就農だったが、長野県に移り住んだ当初は地域の新参者に対する見えない厚い壁に苦労した。 予定していた畑の一部を貸してもらえなかったり、春先の種まきに最適な時期に関する情報をまったく入手できなかったり・・・。
ただ、Mさんは以前の会社勤めの時代に培ったビジネス経験から、農業に限らずどの業界でも、既存の業者は新参者に対しては冷淡なものと、前向きに考えることができた。
しかも、製造業などと違って農業には、既存のシェアを奪う、奪われたといった競争意識がないので、同じ地域の人たちと上手く信頼関係を築くことさえできたら、地域には受け入れてもらえると考えた。
そこで積極的に地域活動に参加して人脈作りに精をだした。特に有機栽培の研究会などでは、どんどん発言して理解者や仲間を増やした。
Mさんは、食べる人も作る人も、お互いの顔の見える農業を目指している。そのため従来からの農協や流通業者を通さず、独自の販売ルートを構築して、60種類以上の有機野菜の直販を行っている。 彼は、まったく地縁、血縁のない土地で、有機野菜に対する情熱と積極性な性格だけを武器にネットワークを築き上げている。
顧客数は、周辺都市を中心に約80戸。生産者が食べていける最低線の50戸は越えたが、余裕をもった農業経営が可能な100戸まではまだある。そのために、味噌作りやトマトを使ってのケチャップやソース作り、顧客が楽しみにしている春のジャガイモの植え付け、秋のジャガイモ掘りなど、主催する講習会やイベントも多い。
奥さんと二人、今日も土を相手に仕事に精をだしている。
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