東京の都心から西へ車で1時間強、幹線道路が通る町で牛乳店を開業しているK さん(37)の朝は早い。
5時になると布団を抜け出して自宅に併設している事務所に入り、熱いコーヒーを飲んで眠気を払って、軽いストレッチで体を慣らしてから一日が始まる。彼は、冷蔵室から瓶入りの牛乳ケースを何箱も軽トラックに積み込み、配達順路の家一軒一軒を回って牛乳を配達していく。
彼がこの土地で開業して2年。現在、約500件の顧客を抱えて、妊娠4カ月の妻Aさん(25)と協力して配達と集金など店の運営をこなしている。
2年前までのKさんは、人材派遣会社から電力系列の顧客サービス会社に派遣されて、そこでシステム管理の仕事をしていた。
彼がシステム管理にかかわるようになったのは、18歳で東北の地方都市の郷里を出て東京で学校を卒業したあと、バブル崩壊後の就職難の時期にパチンコ運営会社に就職した時のこと。
そこで系列パチンコ店同士をネットワークで結ぶ情報システムの仕事を覚え、そこから中堅のシステム開発会社に転職した。ただ、SEとして働いたこのシステム会社は大手電気メ−カーの孫請け会社で、給料はよかったが満足に食事も取れない仕事漬けの毎日で、他社に買収されるのを期に辞めて人材派遣会社へと移った。28歳の時である。
派遣社員の世界では、30代半ば定年説がある。
受け入れ企業が若手の派遣を好むため、その年齢になると仕事が少なくなるという説。またこの年齢を境に、並みの能力では時給の上昇が止まるという説。いずれにしても、派遣会社で働くことが辛くなるということを意味している。
30歳を過ぎてからのKさんも、将来については悩んでいた。このまま派遣社員をしていては、結婚は難しいと思えた。そんな時にネットを通じて参加した趣味の集まりで、奥さんとなるAさんと知り合い34歳で結婚をした。
結婚後、将来のある仕事を必死に探していたKさんが、町の牛乳屋に転職するきっかけとなったのは、新婚当時に住んでいた杉並区のアパート近くにある牛乳屋さん。彼はよくここに瓶入り牛乳を買いに行って店主といろいろ話すことがあったが、そのとき「最近は牛乳の宅配を希望する人は増えているが、牛乳店主の高齢化で店舗の廃業が増えて、配達や営業をする人がいない」と云う話を何げなく聞いて、牛乳屋のイロハや店舗経営のノウハウを調べてからの決断だった。
それまで牛乳屋というと、木箱に瓶を入れて自転車で地域を巡るイメージしかなかったが、杉並区の牛乳屋さんの店も管理や配送にIT化が進んでいるうえ、Kさん自身美味しいと思っていた瓶入り牛乳は、スーパーなどで売っているパック入りとは違って、カルシウムを強化した栄養価の高い製品で、町の牛乳屋ではこれらバラエティーに富んだ製品群を専門に扱っている。
Kさんは、自分のためにも奥さんのAさんのためにも、牛乳屋で独立開業することを考えた。そこで、杉並区から現在の町に引っ越して、自分の貯金や国民生活金融公庫から資金を借りて営業権を買って牛乳屋をスタートさせた。
実際、ご多分にもれずこの町も高齢化が進んでいるせいで、お年寄りの牛乳需要は大きい。歳を取ると骨折に対する警戒心は強く、また女性は骨粗しょう症対策から牛乳はよく飲まれる。そのうえ、スーパーで買う牛乳パックが、お年寄りには大変な荷物になることも知った。
現在Kさんは、ライバルメーカーの製品も取り扱ってメニューを増やすことや、乳製品以外の商品配達など色々策をねっている。それに、得意のネットを利用した新しいビジネスへの道も考えてる。
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